余裕を持つこと

そろそろ社会人生活4年目が終わろうとしている。来月から5年目に突入。今までは仕事の姿勢として、我武者羅にやること、額に汗すること、要するに泥臭く仕事することが美徳であると思っていた。ここ最近、それだけで仕事を続けることは身も蓋もなくなってしまうこと感じる。具体的には自制心がなくなり、マイナス思考のデフレスパイラル、無気力、疲労の蓄積などなど。良いことが連鎖しないと感じるようになった。余裕を持って仕事するということは、予めの下準備が必要だし、想定範囲内であるという俯瞰した心持が必要だろう。5年目の仕事の目標にしよう。

スマートな生活

最近は余裕のない生活を送っている。理由を考えてみる。

1)新しい現場に慣れていない
2)精神的疲労
3)肉体的疲労
4)スケジュールが立たない(先が見えない)
5)日々のTODOに追われる
6)プライベートの時間なし
7)ストレス発散ができていない

もっとスマートに(賢く、クールに、効率良く)生活できたらなぁと思うのだが。仕事、プライベートをコントロールできるようにPDCAを回す余裕がなくなっていることに気づいただけでもよかったかもしれない。さて、もう少し頑張ってみるか。

2010年目標

年が明けてだいぶ経ってしまった。新しい現場に勤務することになり、慣れるのに時間がかかっている。やっと明日で1ヶ月経つところだ。

2010年の目標は、『多くの知識を吸収する』こと。

これまでは自分の力量範囲以上のアウトプット(成果)を求められてきた。それに必死で食らいついていった。そして色々病気にかかったが、まだ若さもあるからか、死なずにまだ生きている。そして得たのは、貴重な経験、大切な仲間との絆、コンサル力や、マネジメント力、顧客調整力などなど…沢山あった。

とは言いつつも、こんな戦場のような生活もほどほどにしないと、いつか突然ポックリあの世に逝ってしまいそうなので、生活スタイルを変えたいと思った。とりあえず、仕事で成果を出すことは当然として、自分のプライベートを充実させたいと考える。その意味で『多くの知識を吸収する』ことを今年のベースにして生活したいと思う。

2009年ふりかえり

今年は大殺界と呼ぶにふさわしい一年であった。1月〜12月を振り返る。
1) 1月〜 3月
初のプロジェクトリーダとして、奮闘した。右も左も分からない若造が6人のプロジェクトをマネジメントする事は苦難でいっぱいだった。日々計画(シナリオ)立案、計画の実行、工数(スケジュール)管理、内外調整、課題管理及び課題解決などに追われ、自分の仕事に着手するのはいつも定時後であった。稼動は週6日で、日曜日に一週間の整理と翌一週間の計画見直しを行うのがほとんどだった。アウトプットを求められ、自分の知識と技術の限界ギリギリだった。このまま投げ出してしまったら、どんなに楽なことだろうかとよく考えていたし、それじゃ駄目なんだとよく悩んでもいた。それでも最後までやり遂げられたのは、周囲の支えがあったからだ。先輩や上司、チームのメンバ、プロパのメンバ。多くの人達が自分に勇気と応援をくれた。クールに仕事ができた分けじゃない。非効率だったし、時間かかったし、迷惑もかけたし。汗まみれ泥まみれになって、ガムシャラになって、泣きじゃくって働いた。それが今は自分の血と肉になった。本当にここが自分の原点であると思っている。これからどんな困難あってもここでの経験が自分を支えてくれると信じている。みんなみんなに感謝でいっぱいである。
2) 4月〜 7月
リーダを育成すことに専念。プロジェクトリーダを経験したばかりの自分が次はプロジェクトマネジャとしてプロジェクトリーダを育成するなんてとても無理があった。それでも自分のできることは精一杯やった。当人達は自分の言動が口のうるさいお節介だったろうし、歳の近い人間にとやかく言われるのさぞかし嫌な奴だと思われていただろう。それが自分の役目と思うことで乗り切ったが、心痛むことが多かった。
3) 8月〜11月
裏役から表役に復帰。要件定義から開発テストをプロジェクト管理。ただし、どうしてもこの3年間築き上げてきた土俵をプロジェクメンバ全員に色々継承してほしかった。それと、1月〜3月とは違って、今度はメンバ一人一人の手でプロジェクトを成功させたんだという実感を持ってもらいたかった。だから表役といってもみんなの見えないところの調整役が多かったかもしれない。規模としても25人まで大きくなった。そんなみんなの顔つきがプロフェッショナルらしくなっていくのを見て、とてもとても嬉しかった。また今までにない経験を得ることができたし、思い出がたくさんできた。そしてたくさん泣かされた。プロジェクトメンバ全員が家族になった。この絆は一生大事にしたい思う。
4)12月
次の案件に入るまでに、自分がこれからどうなりたいのか、そのためにはどうしなければならないのかを考えるのに良い機会となった。診断士やSJC-Aを勉強。久々にインプットする多くの時間をとった。

診断士への道 3)

某予備校に体験入学へ行った。科目は企業経営理論。診断士への登竜門らしい。講義内容事態は自分の趣味の世界とリンクしていた為に苦ではなかった。しかし、4年ぶりの講義であった為に集中力が続かなかった。講義時間は150分。その間に10分の休憩があった為、講義は1セット:70分×2回となる。取ったノートのページ数は6ページ。講師の板書はほとんどなかったが、仕事の癖なのか、議事録を取る感覚で、聞き漏らさず色々ノートに書き込んでいた。テキストへ書き込めばよかったような気も後々した。

雑感なのだが、今日の講義は学術的過ぎていて、実学的な部分をあまり感じなかった。現実離れしているというか、浮世離れしているといった感覚。今日が企業経営理論だったからだと思うが、ついつい先読みしてしまった。それは、「大金叩いて予備校へ通ったにも関わらず、診断士を取得して本当に実利があるのか?」という不安。取得後は、講演活動や執筆活動がメイン。実際に独立開業やコンサルとして働いている人は少ないというし。費用対効果に決定的な納得感を得ていない。趣味で勉強してもいいのでは?と思ってしまう。

それにしても、今の仕事を続けながら予備校はかなりの体力と精神力と要するだろうというのは間違いないと思う。

頂きはどこにある?

頂きはどこにある?

リーダーは半歩前を歩け ――金大中というヒント (集英社新書)

リーダーは半歩前を歩け ――金大中というヒント (集英社新書)

会社はこれからどうなるのか (平凡社ライブラリー)

会社はこれからどうなるのか (平凡社ライブラリー)

中小企業診断士第1次試験過去問題集〈1〉企業経営理論〈2009年度版〉

中小企業診断士第1次試験過去問題集〈1〉企業経営理論〈2009年度版〉

中小企業診断士第1次試験過去問題集〈3〉運営管理〈2009年度版〉

中小企業診断士第1次試験過去問題集〈3〉運営管理〈2009年度版〉

中小企業診断士 第1次試験過去問題集〈4〉経営情報システム〈2009年度版〉

中小企業診断士 第1次試験過去問題集〈4〉経営情報システム〈2009年度版〉

中小企業診断士 第1次試験過去問題集〈5〉経営法務〈2009年度版〉

中小企業診断士 第1次試験過去問題集〈5〉経営法務〈2009年度版〉

A型インフルエンザから生還

2009/9/25、午前から自宅で諸々作業していたのだが、午後から高熱を発し寝込んだ。いつもの風邪だろうと寝込んでいたが、全身に気だるさと関節痛を感じた為に、近くの病院へ向かった。病名は『A型インフルエンザ』。最近では、町の病院でも簡単にインフルエンザの検査をしてくれるらしい。ただし、鼻に長い綿棒を入れられるのが痛い…。

そしてタミフルを服用し、お粥生活。こんなに寝込んだのも久しぶりだった。何もできなくて苦痛かと想像していたが、毎日寝込んでいたのであっという間だった。寝込むもの当然だ。8月〜9月にかけては無茶な仕事生活をしていた。休日出勤の振り替えは1〜2ヶ月分はあると思う。(たぶんこの先、振り替えの申請はできないと思うが…。)免疫が落ちるのも当然だし、歯槽膿漏腸炎、A型インフルエンザになるのも当然のことだろう。プロジェクトメンバにはとても迷惑をかけてしまった。残り2ヶ月。悔いの残らないように戦友たちとゴールへ向かっていきたいと思う。

2009/10/5、仕事へ復帰予定。もう復讐はやめた。

腸炎になって

社会人4年目。2年ぶりだろうか。
ストレスと過労による病気にかかったのは。病名は腸炎

1年目は頭位めまい症。軽度の鬱病
2年目は自立神経失調症。
3年目はプライベートで精神的苦痛。
4年目は歯槽膿漏腸炎
(大きな病気はなくとも、救急車には2,3回お世話になった)

毎年毎年、何かしら病にかかっている。異常としか思えない。過去の失敗から、ジムへ行って体を鍛えたり、ストレスと過労を減らすために、仕事の効率化やプライベートの過ごし方を工夫してきたが、まだまだ自分に足りないことがあるらしい。

上司から頂いたアドバイスは耐える力と受流す力のバランス。確かに精神力については、だいぶ耐性がついたと思うが、全てを耐えられるだけの体力がない。戦う気持ちはあっても、戦える体力、体がついて来ない。それはたぶん、歳を重ねる度、精神力と体力のギャップが開いて行きそうな気がする。

来るもの、来るもの全てと面と向かって戦わずして、要領よく戦う方法を模索していくことが今後の課題と思う。

それにしても、こんなに病気になるのが自分だけなのは、一体何故なんだろうと不思議に思う。自分は自虐的なのかと。後悔しているかというと、それほど後悔はしていない。闘病中は苦しい日々ではあるが…。やらずして後悔するよりも、やって後悔したほうがよいと幼い頃から思ってきた自分の信条がそこにあるからだ。

孔子の言う、『三十而立』を目標にこれからも精進したい。
あともう少しで自分の土俵が出来そうな気がする。